「読んでいない本について堂々と語る方法」を読んだので語る

本当に読みました。
これすごい。本のタイトルとその中身の乖離にがっかりすることは多いけど、感動できることはなかなかない。読書術やハウツー本だと思って読み始めるとたぶん後悔する。

序盤の語り口は軽妙で、「読んでない本について語らないといけないことって意外とあるよね、特に俺みたいな文学部の教授だとネ☆ でも大丈夫、みんな秘密にしてるけどある本を語るのにその本を読む必要なんてないし、むしろ読まない方が良いくらいだぜ!」みたいなノリで、文中で引用される本についても脚注で「流し読みした程度」とか「読んだけど忘れた」とか書いてあるので「いや読んでねぇのかよ!」などとケラケラ笑いながら読むことができる。「ピエール」という冗談みたいな名前と相俟って(ピエールという名前を聞くと8割の日本人の頭にはシルクハットに丸メガネで口ひげの先っちょがクルクルーッとなってる似非紳士が現れるだろう。語尾はザマスかザンスだが、ザンスが浮かぶ場合は出っ歯であり、その人はイヤミと混同している可能性が高い。残りの2割は電気グルーヴの片方が浮かぶ)そういうふうに冗談や屁理屈の類だと思って読んでるうちにだんだんと話の説得力が増してきて「こいつひょっとして、マジで言ってるのか……?」という気になり、中盤辺りからは完全に「我々は全ての本を読む事ができない。それどころか読んだ本の内容はおぼろげな記憶に過ぎず、それも時とともに薄れやがて消えていく。『本を読んだ』とは一体何だったのか……?」という空恐ろしい気分に満ちていく。今までの自分が積み上げてきた常識が足元からガタガタと崩れていく、世にも奇妙な物語的な読書体験だった。

そもそも本というのは「読んだ」「読んでない」の2値で分けられるような類のものではないザマス、とピエールは言う。そもそも読んだ本の内容を一言一句覚えている奴など稀だし、また別の人が同じ本を最初から最後まで読み通したとしても読んだ人の頭の中に浮かぶイメージは一意ではないし、どの部分に重要な点を見出すかも人によって違う。

われわれがすでに読んだ本と考えているものは、たとえそれが物質的にはわれわれが手に取った本と同じであるとしても、われわれの想像界によって改変された、他人の本とは関係のない、雑多なテクスト断片の集合に過ぎない。

そして、本について語るときに必要なのは本の中身の記憶ではなく、本と本を繋いでそれらを位置付けるメタ情報であるという。「本という確固たるテクストがあって、それを完読して頭に叩き込むことで初めて、それを元にした議論や批評ができる」という学校教育で暗黙の前提とされてきた認識が間違っているのだと言い、「本を読んだ」ことに神聖な価値を与えてしまうことを拒否する。むしろ自分の頭で考える上で本を読むことは悪影響だとさえ言い切り、果てには引用する本の内容が実際と間違っていてもそれがどうした何も問題ないとまで言い始める。
そんな「いくらなんでもそりゃ言い過ぎじゃねぇの」と言いたくなるロジックを、古今東西の豊富な(流し読みした)エピソードや文献を援用しながら説得力のあるものにしていく。この過程そのものが、著者の唱える理論を実践しているのだ。

また、ここでいう「本」はさらにいえば本じゃなくても良い。映画でも、音楽でも、ウェブページでも、学問のジャンルでもいいし、誰か一人の人でも、何か物事に対する考え方でもいい。そう考えてみると、誰か一人の人間を知り尽くすことなんて不可能だし、それでも「あの人はこういう人だ」と(実際には本人と話したことさえなくても)語ることができる。それはわりと無責任な行為で会ったこともない人についてどうのこうのいう人はあまり信用できないが、ではその人について俺は全て知り尽くしてるしバッチリ語ることが出来るぜなどということはあり得るのだろうか。同じように読み終えた本についてどうのこうの言うことがそんなに確固とした責任の持てるものなのかというとそんなことはない。理由は前述のように読まれた本とはそもそも一意ではないからだ。では実際には何を語っているのかというと、ピエールによると自分を語っているのだという。過去の本によって張り巡らされた網の糸を時に手繰り寄せ、時に強引に結びつけ、その中に自分を位置付ける、そういうあやふやで不確かな試みこそが何かを語るということであり、そのようにしか語り得ないのだ。だから、語ることはひとつのクリエイションであるという。

自分は本を読むのは好きなんだけどこういうふうに本について何かを言うのが苦手で、「ちゃんとしたこと書かなきゃ」と思ってしまうと、無意識のうちに正解を想定してしまい、不正解を出さないように慎重になってしまうふしがある。(本読んだ後にその本の他の人のレビュー読んだりすることないですか? 僕だけですか?)
でも、同じ本を読んで同じ感想が出てくるなんてことはあり得ないという考えてみれば当たり前のことがわかったので、今後は適当に書いてみようと思う。引用した部分以外、書いてるときに読み返してない。たぶん語尾にザマスはついてなかった。


2016年5月21日

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です